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鹿児島地方裁判所 昭和33年(わ)167号 判決 1958年7月11日

被告人 並木正行

主文

被告人を懲役一年に処する。

未決勾留日数中二十日を右本刑に算入する。

訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は

第一、昭和三十二年二月二十一日正午頃、鹿児島市仲町一二八番地割烹「梅園」こと山下春香方において、建設業西園厚志(当四十一年)が自己の落札した鹿児島県が行う土木工事につき一部を下請させて貰いたい旨自己に再三依頼したことに憤慨して、矢庭に「この乞食野郎、慾たれが」と怒鳴りながら一回盃の酒を同人の顔面に浴びせかけ、更に一回同人の胸部を蹴りつける等の暴行を加え

第二、同年十一月十日午後九時頃、同市東千石町九十番地旅館「かごしま温泉」こと野崎渡方において、鹿児島県が行う土木工事の入札に関し建設業有馬五雄(当四十八年)等被指名業者の談合に介入し、同人に対し右工事の請負方を右被指名業者の一人である株式会社永田組に譲るように交渉したが、同人が之に応じなかつたことに憤慨して、矢庭に手拳で同人の右頬部を一回殴打し、その為その場に倒れた同人の右胸部を踏みつける等の暴行を加え、よつて同人に対し右前胸部及び右頬部に治療約二十日間を要する打撲傷を与え

第三、かねて自己が建設業新保栄一(当三十三年)に対し鹿児島県の行つた土木工事入札に関し、之が工事請負方を建設業株式会社宝地組に譲るよう交渉したところ、同人から拒絶されその為競争入札の結果右宝地組が落札したけれども、相当の損害を受けるに至つたので、このことを不快に思つていた為、同三十二年十一月十七日午後九時頃、指宿市十二町「浜田旅館」こと浜田金二方に右新保を呼び付けた上、同所において、同人を詰問するや手拳で同人の顔面を一回殴打する等の暴行を加え、よつて同人に対し完治まで約二週間を要する右眼瞼皮下出血等の傷害を与え

第四、同三十三年四月二十二日午後十一時三十分頃、鹿児島市山之口町五二番地割烹「安広」前附近に置いてあつた自己が経営する並木建設株式会社の自家用小型貨物四輪車鹿四す二三七一号に、同会社の女事務員一名を乗せて同市上町堅馬場附近の「浮世風呂」に遊興に行こうと考え、法令に定められた運転資格を持たず、而も相当酒に酔つて正常な運転が出来ない虞があり、且つ之を自覚していたに拘らず、右自動車に右女事務員を乗せ之を自ら運転して、右割烹前附近から右「浮世風呂」に向つて出発し、間もなく同市鹿児島駅方面に向け電車通りを時速約三十粁にて進行し、無謀操縦を継続中、偶々同市六日町八番地先旭相互銀行本店前通称朝日通り交叉点間近に差しかかつた際、前方進行方向に接近して同交叉点中央附近に牧野寛(当二十五年)及び瀬尾修一(当三十年)の両名が佇立しているのを十米位手前において発見したのであるが、かかる場合にも尚強いて道路交通取締法に違反して無資格且酔余のまま自動車の運転を続けるならば、絶えず右両名の行動乃至位置の移動に注意を払うと共に、何時にても同人等に接触衝突する等の事故を起さぬように万全の注意を続けて行く必要があつたところ、元来自動車運転の資格を持たず、尚依然として相当酒に酔つていて正常な運転が出来ない虞のある状態にあり、従つて直ちに自動車の運転を中止すべき義務があり、更に運転技術も未熟である被告人としては、右の如き注意を続けながら運転する能力に著しく欠くるものがあり、この点からも尚更自動車の運転を中止して、事故の発生を未然に防止すべき義務があつたのに拘らず、之が義務を怠り、運転を中止せず、而も右二名の者を発見した以後は全然その方向を注視せず、速力も依然として時速約三十粁のままで、又警笛も鳴らさず、漫然そのまま運転進行して、無謀操縦を続けよつて之が重大なる過失により忽ち自動車の右前部を、手をつないで連れ立つていた右の両名に衝突させて両名を前記交叉点中央附近の電車軌道内に顛倒せしめ、その為前記牧野に対しては治療約二週間を要する顔面打撲傷等の傷害を、同瀬尾に対しては治療約四十日間を要する脳挫創及び顔面挫創の傷害を夫々負うに至らしめ

たものである。

(証拠の標目)(略)

(法令の適用)

罰条     判示第一につき 刑法第二〇八条(懲役刑選択)同第二、第三につき 同法第二〇四条(懲役刑選択)同第四につき 道路交通取締法第七条第一項、第二項第二号、第三号、第九条第一項、第二八条第一号、刑法第二一一条後段、同法第五四条第一項前段、第一〇条(重い被害者瀬尾修一に対して犯した重過失傷害罪の刑に従い禁錮刑選択)

併合罪加重  刑法第四五条前段、第四七条本文、第一〇条(重い判示第二の傷害罪の刑に法定加重)

未決通算   刑法第二一条

訴訟費用負担 刑事訴訟法第一八一条第一項本文

(検察官の本件無謀操縦と重過失傷害とは併合罪であるとの主張に対する判断)

自動車の無資格運転と飲酒による非正常運転による各無謀操縦と之等に継続して起る重過失傷害との罪数上の関係については、従来高裁の判決に於ても一所為数法説と併合罪説との対立があり(例えば、飲酒による非正常運転による無謀操縦と業務上過失傷害とは一所為数法の関係にあるとするもの即ち東京高裁第七刑事部昭和三十年十一月九日判決、自動車の無資格運転と業務上過失致死傷とは併合罪の関係にあるとするもの即ち東京高裁昭和三十年七月二十五日判決、自動車の無免許運転とその運転による重過失傷害とは併合罪であるとするもの即ち札幌高裁函館支部昭和二十七年九月二十九日判決、自動車の無資格運転、飲酒による非正常運転、制限時速超過運転等の各無謀操縦と重過失致死とは、之等の無謀操縦も各別個の行為であり、重過失致死と無謀操縦の間も別個の行為であつて四個の併合罪が成立するとするもの即ち札幌高裁函館支部昭和三十三年四月七日判決、前車の左側追い越し違反と業務上過失致傷とは一所為数法の関係にあるが、その場合の自動車の無資格運転とは併合罪であるとするもの即ち仙台高裁昭和三十年十一月十六日判決)、最近最高裁に於ても昭和三十三年三月十七日第二小法廷に於いて、無免許で、飲酒して酔余自動車を運転し、被害者の自転車に衝突転倒せしめ、被害者を死に致した場合には、無謀操縦の罪と業務上過失致死罪とは、別個独立の犯罪であつて、右両者の間には牽連関係乃至一所為数法の関係は存しない旨の決定がなされ、また昭和三十三年四月十日第一小法廷においては、いねむり運転の道路交通取締法違反とその運転にかかわる自動車の業務上過失傷害は一罪として観念的競合が成立する旨の決定がなされた。然しながら、本件に於ける自動車の無資格運転と飲酒による非正常運転との無謀操縦は一所為数法の関係にあり、又これ等の無謀操縦と重過失傷害との間に於ても一所為数法の関係にあるものと解する。蓋し、本件全体を素直に社会的事実として観察するときは、同一人による自動車の運転行為と謂う一個の行為が基本的事実となつて居るのであり、これについて道路交通取締法によつてそれが一面無資格運転の違法行為となり、一面飲酒による非正常運転の違法行為となり、この二個の重なつた違法行為が原因の主たる要素となつて重過失傷害を惹き起していると観ることは当然である。刑法上の行為は固より単なる社会的事実としての行為ではなく、これに法的評価の加わつたものでなければならないのであるが、本件に於ては法的評価を加えて見ても右素朴なる社会的観察を変更する必要は認められない。道路交通取締法違反の無謀操縦と重過失傷害とは法益を異にはしているが、法益を異にしている別種の犯罪でも一所為数法の関係が成立することは勿論であつて、むしろ一所為数法の典型的な場合としては別種の犯罪が重畳する場合である。又、無免許や酩酊運転の如き無謀操縦があつたからと言つて必ずしも常に過失事犯が発生するとは限らないことは勿論であるが、道路交通取締法が無資格運転及び酩酊運転を処罰せんとする所以のものは道路交通の秩序を維持し諸般の事故を未然に防止せんとする犯罪予防警察の見地より来たつているものと解され、又現に無謀操縦は一般に事故を惹き起しやすいのであるから、無謀操縦を原因として常に必ずしも過失犯が発生せぬからと謂う理由のみをもつてしては、その両者の一所為数法性を否定する理由にはならない。又無謀操縦は過失犯の過失の内容とはならないとの見方もあるであろうが、本件に於ては、被告人が前方危険な位置に被害者が佇立していることを認めた場合、相当な注意を払い適切な運転操作をすればそれで被告人の当時に於ける注意義務を懈怠したことにはならぬと謂えるのであろうか。無資格運転でも酩酊運転でも道路交通取締法上かかる運転をなしてはならぬと禁止されていることは同法の解釈上毫も疑いを容れる余地のないところである。然らば当時の被告人の注意義務として、一応運転することは認めるが、それには前方注意義務があり又適切な運転操作義務があるとして、之等の注意義務を怠つたから重過失傷害の責任があるとすべきであろうか。道路交通取締法の禁令が存する以上かかる解釈は出来ないと思う。無資格運転をしている被告人としては、当時先ず第一にこの点からして運転を中止すべき義務があり、而して一面この義務を尽すことが被害者に衝突する事故を未然に防止すべき注意義務として被告人に課せられていたものである。されば、過失の内容の中には、無資格運転であることを充分知り乍らそのまま運転したことが当然包含されるのである。又酩酊運転にしても正常な運転をする能力のない状態であり、且つ被告人としても之を自覚しつつも尚そのまま運転を続けた為に正常な運転が出来ずその為にこそ通常の注意を払えば本件事故を惹き起さない筈のところを被害者に衝突して傷害を与える結果を発生せしめたのであるから、これ亦過失の内容を形成していたものである。尚本件が単なる過失傷害でなく、重過失傷害である所以のものは、無資格運転及び酩酊運転の条件が加わることによつて然るのであり、前方注視義務等運転操作の適切なる措置を執らなかつたことだけでは果して重過失と謂えるであろうか、この点から考えれば尚更本件過失の内容から無資格運転及び酩酊運転を取り外して之を単なる情状として仕舞うことは出来ないのである。更に又、判決の既判力の点について考えるに、無資格運転及び酩酊運転共に一種の継続犯と見るべきものであるから、たとえ重過失傷害との関係を別個の行為と見て併合罪と解しても本件の如く事故発生と同時に停車せずそのまま運転進行した場合には、その事故発生によつて無謀操縦行為が中断されるものと見ない限りは、その後の継続した無謀操縦まで既判力が及ぶものと解さなくてはなるまい。然し、無謀操縦と重過失傷害とを一所為数法と考えるならば、その後に更に重過失致死傷を犯したような場合には、これにまでも既判力が及ぶものと謂うことになるであろう。然らば刑法の運用面において支障を来たす虞があるとの非難が起るであろうが、行為の法的評価の面から考えると、固り処断上の一罪であるとされてはいるが、既に一所為数法として重い重過失傷害罪の刑に従い一個の行為として処断されることになつているのであるから、法律上は爾後の無謀操縦は事故発生と同時に中断されるものと解すべきであつて、かく解することは又行為の社会的客観性の見方からしても妥当なものと思われるので、刑法の運用面の支障は起らないものと解する。若し然らずとするも、本件に於ては、無謀操縦が過失而も重過失たる要素をなすことを否定し得ないのであるから、一所為数法説をとる為に若し仮りに既判力の関係で都合の悪い結果となるとしてもこれ亦止むを得ないところである。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判官 田上輝彦)

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